浦和地方裁判所 昭和34年(わ)407号 判決 1960年2月25日
被告人 有山政男
昭一〇・七・一一生 無職
主文
被告人を無期懲役刑に処する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和一〇年七月一一日に父有山軍次郎、母同きくの長男として出生し、昭和二四年四月母きくが死亡したことから、当時、中学二年で学校を中途退学して家業である農業を手伝い、昭和二九年秋頃、叔父沢田福太郎の世話で田口よしと事実上の婚姻生活に入つた(入籍は昭和三〇年九月二〇日)が、右よしが、知能が低かつたため、満足に一家の主婦として用を足すことができなかつたことに強い不満を感じ、又父軍次郎とことごとに意見が対立し、同人が被告人に無断で水田を売つたり、畑や立木を処分した様子を知り、日頃から折合の悪かつた父を憎むようになつたが、自ら右暗い家庭生活を打開する力はなく次第に将来に対する希望を失うようになり、このような生活をつづけるよりは、むしろ妻や父と共に一家全員を殺害し、自己もそのあとを追おうと決意し、昭和三四年七月二二日午前一時頃、埼玉県岩槻市大字飯塚一三三三番地自宅において、就寝中の養祖父馬次郎、実父軍次郎、妻よし、長男弘、次男光男、三男一男、姪有山よし子の上に、かねて用意していたガソリン約一八立を浴びせかけたうえ、火をつけたボロ切をこれに投げつけて火を放ち、よつて、人の現在する右、建坪約六〇平方米の木造平家居宅を全焼して焼燬すると共に、前記七人をその場で焼死させたものである。
(証拠の標目)(略)
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、本件犯行当時、被告人は心神耗弱の状態にあつたものであると主張するのでこの点について判断する。
鑑定人阿部政三作成の鑑定書によれば、被告人は精神薄弱者であつてその知能程度は魯鈍に属し、性格学的には短気、執拗、爆発性等てんかん性格と称する傾向の所持者であり、本件犯行当時は、家庭内の不和、懊悩の結果、情緒の不安定と思考力の狭少とによつて、軽卒な行動に陥る可能性もあつたけれども、是非善悪の弁識能力は具えていたことが認められる。
そのほか、当公廷における供述の態度やその内容からみても被告人が本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたものと認めることはできないので弁護人の主張はこれを採用しない。
(法令の適用)
被告人の判示所為中現住建造物放火の点は刑法一〇八条に、有山馬次郎及び同軍次郎に対する殺人の点は、いずれも同法二〇〇条に、有山よし、同弘、同光男、同一男、同よし子に対する殺人の点はいずれも同法一九九条に該当するところ、右二個の尊属殺人罪と五個の殺人罪は一個の行為にして数個の罪名にふれこれと現住建造物放火罪は手段結果の関係にあるので、結局、同法五四条一項前段、後段一〇条により犯情の重い有山軍次郎に対する尊属殺人罪の刑に従つて処断すべきであるが、所定刑中どの刑を選択するかについて考えてみる。
本件犯行が、その態様において残虐であり、結果において極めて重大なものを招いたことを忘れてはならないけれども、一方、被告人は一九才にして知能の低い、日常の挨拶すらすることのできない女性を叔父沢田福太郎の世話により配偶者とすることになり、その妻の正常化を期待しつつもこれを裏切られ、その間父軍次郎との間に財産上のことなどから確執を生じ、家庭生活に希望を失つたため自己及び家族の将来を悲観し、自らは、父母の近親結婚のため遺伝学的に劣悪低格の資質を運命づけられ、かかる事情のもとにあつて、一応の道徳感を持ちながら、これに従つて行動することができず、軽卒な行動に陥る傾向があつたために、無謀にも一家全員を殺害しようと決意するに至りその結果、自らも死を求めようとしたことは、一面から見れば被告人もまた、父母の心ない結婚のしかたや、家族の無思慮な生活態度の犠牲者であつたともみられるので、これらの点、憫諒すべきものがあることを思えば、本件犯行が天人共に許さざるていの罪にあたるものではあるけれども、なおかつ、被告人に対しては極刑を避け、所定刑中無期懲役刑を選択することを相当と解する。
よつて、被告人を無期懲役刑に処する。
訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。
(裁判官 大中俊夫 田中寿夫 大関隆夫)